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  牧師からのメッセージ 2006年  
話すことと聞くこと

      彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え
       まだ語りかけている間に、聞き届ける。  イザヤ65:24           

 わたしが購読している新聞の同じ日の紙面に「話すことと聞くこと」について、読者に正反対の印象を抱かせる記事が掲載されていて興味深く思った。
 ひとつは最近のいじめを憂えて、若い人達に語りかける連載の「いじめられている君へ」と題されたコラムである。そこで落語家の林屋正蔵さんが、自らの落語家の息子としてからかわれ、いじめにあいながらも、それをだれにも話せずに我慢し苦しんでいた体験を通して、それをあるきっかけから人に話して、聞いてもらうことによって楽になれたこと、だから、聞いてもらえない、わかってもらえないだろうと思って黙って一人で我慢していないで、話してみたらどうですかと勧めていた。「何でも人に話す。それをきちんと聞く。そのことの大切さが分かる大人は、君が考えているより、ずっと多いと思います。」
 ところが、数頁あとの「経済気象台」というコラムには「理数嫌いは、言われて久しい。『英語をもっとやれ』という声は『国語が先』という声にかき消される。その国語は、読めない、書けない、を通り越して、話せない、聞けない、に至った。」といささか絶望的な調子で書かれている。筆者は大学で教鞭をとる人らしく、最近の若者の受けている教育、またケータイに毒された環境の結果、脳みそは鍛えられず、若者がまともに「生きる」ことを望もうとしたら、政治や学校を相手にせず、自力でやるほかないと記す。
 一見正反対に見える二つのコラムは一つの貨幣の表裏なのではないだろうか。まともに向き合って、相手に話し、それをまたきちんと聞く相手をもつこと、この「話すことと聞くこと」の回復が、現代社会を健全にするための基礎である。そして、神との間にこの「話すことと聞くこと」をもつことが、祈ることであり信仰である。そこに人間性の基礎がある。そんなことを考えさせられた。        (牧師 澤 正幸)

 

 

    ● 最終更新日: 06年11月26日 (日)

 
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